白隠さんに会ったあと沼津に一泊して翌朝、三島にむかった。
午後には熱海でつれと待ち合わせがある。それまでの時間、さてどうしよう、
と地図を眺めていてふらっと寄ったのだ。
ここまで50余年、ねらうとはずす、ねらわないといいことがある、
という人生を送ってきたので、予感はしていた。
こういう時に思わぬ発見がある。
駅で地図を手にいれてさっそく歩きだした。すぐにわかった。
散歩をしていて楽しい町、というのはこういう町だ。
三島は遠い昔、富士山の噴火で溶岩が流れてきた先端に位置する。
毛細血管のように張り巡らされた溶岩の隙間には、富士からの水が
流れ込み、いたるところで湧水となっている。
町中を流れる小川、というより用水路に近いが、どれも水が澄んでいて
そのそばを歩くのが楽しくなる。コガモの親子が次々に目にはいる。
多くの文豪がそれぞれの著書で三島を絶賛してきたようだ。それぞれが
説明書きの看板となって小川のそばに立っている。
気づくと三嶋大社の前に出た。事前の知識がないままここもふらっとはいる。
すぐに目に飛び込んできたのが、「三嶋大社の金木犀」だ。
樹齢1200年とあって驚いた。巨木の面影はまったくない。
樹高も幹回りも普通の木だ。枝は何本もの柱でようやく支えられている。
根元のほうをみると、7割がた欠けていて、枯れ木と言われても驚かない。
なんとも頼りない。しかしこれが年に2度も満開となるという。
大きな町の用水路といえば、ふつうのぞきこみたくなる感じではない。
樹齢千年を超える木といえば、巨樹、大木と決まっている。
そんな「常識」が大きく壊されたとき、それは、行き当たりばったり旅の
醍醐味をかみしめるときでもあった。
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