鈴木さんと一緒に中国に行くことが決まってから数日たつと、
その話は課内で広まっていた。
―うちの根本をよろしくお願いします。
課長もあわてて挨拶にいったらしい。
そんな大げさなことかと思うが、会社はそういう
ところだと知った。課長はちょっと嬉しそうだった。
新人が夏休みに顧問と海外旅行、というのは
思った以上に周囲に衝撃を与えた。
これじゃ釣りバカ日誌のスーさんとハマちゃんならぬ、
ス―さんとネモちゃんじゃないか、と先輩たちは
面白がったり心配したり。
こんなきっかけでも囲碁に興味をもってくれる人が
周囲にあらわれて、それは嬉しい誤算だった。
「えっ一親等?二親等?それはねぇ、一緒に行く根本君は、
家族のようなものなんだよ。わかるね。なにっ、権限がない?
ではこの話ができる人と、変わってもらえるかな」
ある時、鈴木さんの部屋に行くと、いつもよりさらに大きな声で
航空会社と電話で交渉していた。自分のマイレージを使って
僕を中国まで連れていってくれようとしていた。
「家族のようなものなんだ」
あたたかいセリフだ。
僕は直立不動で、電話が終わるのを待った。
熱いものが心に流れた。
今思えばこの瞬間に「友情」が芽生えたのかもしれない。
結局電話のむこうが4人目にかわったところで話はまとまった。
遊びの話も決して手を抜かず、ルールがあるからという理由だけでは
あきらめない。商社マンの交渉術を間近で学ぶ貴重な機会だった。
「さっきむこうの総大将にテレックスを打っておいたよ」
交渉の厳しい顔から一変、いつもの笑顔にもどった。
打ち出されたテレックス用紙を見ると、
「いつからいつまでそちらに囲碁を打ちにいくのでよろしく。
Mr. Nemotoもいっしょに」
とある。宛先は中国支局の代表で常務だ。専務と常務の
どちらがえらいかまだわかっていない新人ながら、仕事の話
ではないのにこんな日中にいいのだろうかと心配になる。
テレックスはメールがない当時、海外支店とやりとりする
のに頻繁に利用した。毎朝課長が書いたテレックス文を
課に1台しかないパソコンでタイプするのは僕の役目だった。
料金が文字数で決まるため、英語の頭文字だけでやりとりする。
たとえば「ありがとう」は「TKS」で「本当にありがとう」
は「M(many)TKS」だ。
そのとき現地北京では、あの鈴木さんが来るということで
店の予約や車の手配、観光ルートの確認などが進んでいた。
同行の「Mr. Nemoto」は鈴木さんと2人で来るぐらいだから
相当親しく同年代と思われるものの、社内名簿ではそれらしい
人は見当たらない。ならば取引先の重役かだれかだろう、
という話で落ち着いていた。
本人はそんなことを知るよしもなく、間近にせまった
初めての夏休みをこころまちにしていた。
記:根本
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