人生初。そんなこと、折り返し地点を過ぎたらめったに起こらない。
と思っていた。
が、それは、単に気づかず見過ごしているだけかもしれない。
朝の見回りで玄関をあける。曇り空ですこし風が強い。
地植えのソラマメにアブラムシがつかないよう周囲をめぐらした
銀テープが、パタパタ音をたてている。
足元の小さな鉢に目がいった。
先日偶然の「デビュー」を当欄で報告したミニ盆栽の旭山桜だ。
ーおっ、ついに咲いたか。
手にとってながめる。
―綺麗だな。そうだ、梅の花と違うのは花びらの先に切れ込みが
あるかどうかだったな。
つい最近しったばかりのことを思い出す。
まだ誰かにいばって話をしてはいない。
ここで気がついた。
―あっ、そうか…。
1本の桜の木にひとつだけ咲いているのを見るのは、初めてだ。
もうすこし近くに寄せて見る。
明日はまた数輪咲きそうだ。とすると、これは1年で今日しかない、
ひょっとして数年に一度かもしれない、1輪咲きの瞬間なのか。
見るが観るにかわる。
つぼみの赤が濃い。咲くと薄くなるのか。いや、咲く前にぎゅっと
しぼんでいるからだろう。
先週「なんだ、まだ7分咲きか」と思いながら散歩していた。
歳の数だけ繰り返してきた花見。決して飽きることはないが、
満開を求めて減点主義になっていた。
―1輪でも、いや1輪だからこそ、美しいじゃないか。
少欲知足:わずかなもので満足すること
ずっと前に教わった仏教用語、わかった気になっていた。
実感してはじめてわかった。「気になっていた」だけだと。
これも人生初だった。
記:根本
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