1局の碁を人生になぞらえてみると

みなさんは囲碁を打っていてうれしかったり悲しかったりすることはありますか?

私はあります。碁に慣れ親しんでくると、どんどん感情移入します。

 

程度がひどくなってくると、たとえば形の悪い石を見るだけで悲しく、切なくなり、動悸息切れめまい吐き気に襲われることすらあります。

形の良い石を見れば元気になり、血沸き肉踊り、癌も完治することでしょう。

 

それはさておき、1局を序盤・中盤・終盤に分けて考えてみると、人生に似ている気がします。

 

序盤(~50手くらい)    :~20歳頃まで。自分は何がしたいのかという骨格ができる。だいたい何してもいい。なにかやらかすとたまにツブれる。

中盤(50手~150手くらい):20歳~60歳頃まで。1手1手が大事になってくる。ちょくちょく取り返しのつかない事態になる。よく考えろ。

終盤(150手~)     :60歳以降。やらなきゃいけないことは多く、決まったことをこなす。

 

よくある指導碁の1シーン、序盤で「ここはカカったほうが良いか、それともヒラくほうが良かったか」というようなことを聞かれることがありますが、これは人生で例えれば「野球をやったほうが良いか、サッカーの方が良いか」みたいな話でどっちでもええんです。

ただ、あんまりひどい手を打とうとするのは、非行に走る少年少女を保護するようなものなので、これは良く聞いて頂きたい。

 

中盤は最も差がつきやすいところです。読みの力とはいわば行動力みたいなものです。また、いろんな知識があるとやっぱり有利。世知辛い競争社会ですから、理論武装しておくと生き抜くことが楽になるでしょう。1局の流れを決定づける決断の1手を打つのもこの頃。私も30歳で脱サラしたのは、囲碁で言えば80手くらいで自分らしい1手を打てるのはもうギリギリのタイミングだと思ったもんです。

 

終盤は経験と知識がものを言います。こういう手は何目くらいの価値がある、こういう形はこうやるものだ・・・経験を積み重ねた立ち振る舞いには説得力があるものです。

 

とまあ、多少こじつけですが、囲碁と人生はその時間ごとに求められる能力が似てるような気がしました。

 

みなさん、一生懸命生きていますか?

囲碁の上達を目指せば、生きることがなんたるか見えてくるかも(やっぱりこじつけ)。

 

記 村上深

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