あと2ヶ月ほどで三年が経つ。
素人菜園の楽しさは、同じ人が同じものを同じ鉢で育てても、
同じ結果にならないことだ。
友人が言っていたゴルフの魅力に似ているかもしれない。
最近もうひとつ気がついた。
もし同じ結果が出たとしても、同じ気持ちにはならないだろう。
最初の年は育てた結果を〇×△に分類していた。
少し慣れた2年目は〇か×となった。
予想以上にとれるかとれないか、
どちらかで喜ぶ度合いがきまった。
そして今は〇だけになった。
育てる技術があがったのもある。
育てやすいものを選ぶ力がついたのもある。
だが一番大きな理由は、気持ちの変化だ。
うまく育たなくても、その発見が楽しく、面白く、
〇をつけたくなる。
「生のライチが巷で売っていないから家で獲れたら楽しいだろうな」
こんな単純な思いで高価な(たしか8千円ほど)幼木を仕入れたが
3年たっても、いっこうに大きくなる気配はない。
実がつく期待もはるか遠くでかすんでいる。
1年目の自分だったら確実に×をつけたはずだ。
だがいまは典型的な成功例、〇といえる。
なぜならこの木は、いましっかり生きているから。
これからどうなるか、まったくわからないから。
〇しか見えなくなった素人菜園で、
成長(生長)が感じられないライチに、自分を重ねてみた。
祝100回!
記:根本
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