「何を」「どこで」「どれぐらい」「いつ」「どう」
教わるかよりも、「誰に」教わるかが大事だ。
これに異論がある人はすくないだろう。
そして「誰に教わるか」をすべて自分で決められる人もすくない。
表面的な「師」は、学校の先生しかりたいてい自分で決められない。
しかしこの「誰に」というのは「人」とは限らない。
本でもテレビでも映画でも、庭の草木からも学べる。
逆に先生から学ばなければいけないということもない。
ここがしっかり腹に落ちていると、先生のせいにせず
能動的に学ぶ姿勢ができる。
どんな時も先生は自分で決める。
この覚悟が上達の可否を決めると言っていいだろう。
「記:根本」
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