旅の途中で出会った笑顔は、何年経っても鮮明に覚えている。
アラスカ最北端の町、バロー。
4千人のエスキモーが暮らす北米大陸最北の地への憧れは、
新田次郎の『アラスカ物語』を読んだ中学生の頃からすこしずつ
大きくなった。そして1993年の2月、大学生の僕を単身極北に
向かわせるまでに成長した。
バローについてまず、お土産を探しにふらっと雑貨屋さんにはいった。
店員は偶然、あの小説に出てくる人物のひ孫だった。
小説の世界と現実がわずかに交差した。はじめての経験だった。
目の前がずっとキラキラと輝いていたが、それがダイヤモンドダストと
気づくのには時間がかかった。吐く息が一瞬でフェイスマスクの
口のまわりに凍りついた。
宿泊したホテル「トップオブザワールド」のツアーに参加した。
エスキモーのトニーがジープで凍った北極海を案内してくれた。
道中、氷上をさまようトナカイの一家や北極熊の親子を見つけた。
僕のワクワクが最高潮に達した瞬間だった。
その興奮冷めやらぬ帰り道、ジープが突然停まった。
360度見渡す限り氷の世界だ。いったいどうしたのか。
すれ違った一台の車が窪地にはまって動けなくなっていた。
運転しているのは年配のエスキモーの女性だ。
先ほどまで流暢な英語で冗談をまじえ僕らを笑わせていたトニーが、
車を降りて話しかけた。その言葉は現地の言葉のようだった。
「みんな、手伝ってくれ!」
トニーが車のドアを開けると、マイナス30℃の冷気が
一気に車内にはいってきた。
車内には僕とアメリカ人のカップルの3人がいた。
こういうことは時々あるのだろう。彼はすぐ車から
シャベルを出して動けなくなっている車のタイヤ近くを
掘り始めた。
僕はあわてて手袋をはめて車外に出た。
「せいのっ」
英語ともエスキモー語ともわからないトニーの掛け声を
相図に、僕らは4人で車を持ち上げた。はまった前輪が
道に持ち上がるには少し届かない。男手は3人だ。
トニーの指示で3人の位置を少し変える。
心配そうに車の持ち主が横で見ている。
「よし、もう一度」
僕も掛け声にあわせて渾身の力をこめて車を持ち上げた。
その瞬間、はまったタイヤが少し浮いて道に戻った。
「おおっ」
エスキモーの女性が安堵の声を出して顔をほころばせた。
手をあわせ僕らに何度も、何度も御礼の仕草をする。
村はずれの凍った北極海の上でひとり立ち往生していたのだ。
不安だったに違いない。
言葉は通じないが、陽に焼けて真赤になった顔には不思議と
懐かしい思いがした。エスキモーはアジア系の顔をしている。
極地の低い太陽に照らされた顔は、ダイヤモンドダスト
とは関係なく輝いていた。
きっと僕の顔もそうだっただろう。
記:根本
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